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写楽時代の北斎による,失われた相撲絵の重要性 「写楽は誰」Ⅷ

これまで写楽の正体を明らかにしてきましたが、ついでにいくつかの疑問点について描いてみます。
「浮世絵体系」の「写楽」によると、”版下絵として知られている芝居絵九点と相撲絵九点は偽筆の疑いが濃厚である”とあります。
前回、芝居絵が重要な作品であると、そのうちの一点のかなめ構造図によって示しましたが、
今回は、相撲絵の重要性について書きます。
このシリーズは初期浮世絵と同じで、
着物の形の抽象的な面白さが主目的です。
要構造のモデルを作ってみます。

すもう1
  写楽 陣幕
すもう2
一番大きな円が褐色、次が暗いピンク色、三番目がオレンジ、四番目が緑で示しています。
左ほぼ中央の黄色の十字点でこれらの四つの円が交差しています。

3すもう
太めにした二つの緑の円の上に四つの要点がおかれている。

すもう4
オレンジの円は四つのかなめ点のあるのが一つ、三つあるのが二つ。

もうひとつ「雷電」の要のモデルを作ってみます。

すもう5
   写楽  雷電
すもう6

すもう7

すもう8
一番大きな褐色の円、次に大きなオレンジ、三番目の緑と紫が一点で交わっている。

並べてみれば100%作者が同じと確信できます。
すもう9
 写楽 「奴」と「陣幕」  宗理 「波裏ファーストバージョン」

おそらくこの時期北斎は初期浮世絵に興味があったに違いない。
やりかけの懐月堂のかなめのモデルを示しておきます。
kaigetudou1.png
懐月堂安度  

これで写楽の全作品は百四十数点ではなく、百六十数点になりました。
もちろんギリシャの扇絵は問題外です。

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写楽の中期後期の作品も北斎の大胆な実験だった 「写楽は誰」Ⅶ

モダンアートの分析からはじめて、芸術の文法を説明してきましたが、
文法レベルでみると、「写楽は誰か」の答えが見えてきたので、道がそれてしまいました。
ついでに写楽の全作品が北斎によるものだと、モデルで簡単に証明できるので、示しておきます。

全身像1

今この問題を、最短に考えなおすと、写楽が北斎であるヒントは「北斎漫画」にある。
北斎漫画は、真ん中の図のように幾何学的な形で基本構造を作っておいて、それにかぶせて線をひくという、
素人が簡単に絵を描く方法を教える目的で描かれたものとして知られていますが、
これだけで漫画の図版が描けるというのではない。
どういう目的で描かれたかではなく、どのように北斎が描いているかをみると、
左の模様のように、右のナマズの絵は外郭線がそのままの円弧の連なりになっている。

これは写楽の描き方です。
もっともありそうなことは、北斎が写楽と名乗った時代に、すでにそのスタイルを発明していたということです。

ウィキペデアなどに写楽の中期後期の作品は前期の作品に比べて劣っているとあるが、
写楽を肖像画家としてみるからこうなる。
すべての写楽の作品を、連続して変わっていったフォーマルな作品として見れば、スタイルの変化は北斎が様々な実験を試みたからだと予想できます。

今回は写楽の全身像を分析してみます。
このシリーズは一つ一つの絵が独自で、全体としてもバラエテーに富んでいるのに、なおざりにされている。
言葉に頼る批評は限界があるので、美術史に取り上げられない作品があまりに多い。
前世期で最も重要なピカソ、クレーの”イズム”に収まりきれない作品が批評されないで取り残されている。
批評がサインのレベルにとどまることによって、形としてのモダンアートの意義は理解されないでいる。
芸術家は形で考えるから、モデルの発明が必要です。
視覚文法のレベルで芸術作品のメカニズムを解明するのが芸術学の第一歩と考えます。

zennsinnzou2.png
写楽 大谷広次の奴

このスタイルは二次元の彫刻のようなものである。
顔が小さいから表情ははっきりと見てとれなくて、面白さは全体の形にある。
この見かたができないと、同じ顔をしている初期浮世絵はわからない。
マイヨールの彫像の顔はすべて同じようで、ポーズの違いが新しい形を作っている。
あるいはダンサーの一瞬をとらえたイメージと言ってもいい。
このどっしりとした仁王立ちでありながら、躍動感があるのはどこからくるか。
形のありようがそのように見えるからだ。
モデルを作ってみます。

zennsinnzou3.png
   写楽 大谷広次の奴 円-円弧モデル

zennsinnzou4.png
   写楽 大谷広次の奴 円弧モデル

これらのモデルを見ると、写楽の興味が全身像の絵に移ったとわかります。

朱色の円と円弧だけのモデルを作ってみます。
zennsinnzou5.png
   写楽大谷広次の奴 二番目に大きい円の円-円弧モデル

一番大きな円は褐色で、二番目に大きな円は見やすくするために、オレンジ色にしてあります。
円がいくつかの黄色の格子状の一点に集まっているので、要構造と呼ぶことにします。
円自体は見えない、隠された構造ですが、着物のほとんどが、画面全体を覆う円の内部におさまっていて、
明らかに構造をまとめる効果がある。

次に三番目に大きな黄緑の円と青緑の円のモデルを見てみます。
zennsinnzou6.png
   写楽 大谷広次の奴 三番目に大きい円の円-円弧モデル

人物下部をまとめるのが黄緑の弧です。
要は下腹のほぼ中央で、花弁のようになっている。
青緑の円弧は写楽のよく使うペアの額と横髪の弧で、弧のふくらみの方向を意識的に使っている。

zennsinnzou7.png
五番目に大きなオレンジの円-円弧モデル

家紋を作るオレンジ色の円弧は浮遊するシャボン玉のようなゆるい関係を保っているが、
肘、手首、髷、顎などの、形の外郭の、曲がりの急な突出部を表現する役割を担っている。

版下絵は「浮世絵体系」では参考作品の扱いです。
解像度のいいイメージが見つかりませんが、一つだけモデルを作ってみます。
zennsinnzouhanka1.png

zennsinnzou1o2.png
写楽 版下絵

写楽がすでに描いた三つの全身像を主題として、要の構成法でまとめたポリフォニックな実験作で、
これらがあるからのちの宗理時代の風景画や、風景の中に配置された美人群像があると言っていい。
次に示す「波裏ファーストバージョン」の要構成のモデルをみれば明らかです。

namiurax.png

zennsinnzou11.png
宗理(北斎) 波裏のファーストバージョン 「おしをくりはとうつうせんのづ」

中央下の舟が四つの違った円の弧でできていると前に書きましたが、
この要構成モデルを見ると、
それら四つの円が、一番左の十字点で交差しているのがわかります。
三番目に大きな赤の円は二つのかなめ 
を持っているので、赤とピンクで色分けをしました。
二番目に大きい黄緑の円の要は三番目の十字点、
四番目の空色の円の要は四番目の十字点となります。
要構造だけでも、写楽が北斎であるという決定的な証拠となる。
春朗のスタイルから宗理のスタイルへの飛躍は、写楽時代の実験なしでは不可能である。
このようにシンタックスレベルで見ると、春朗、写楽、宗理 (ShunRo-ShaRaku-SouRi) は自然の移行と見える。

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写楽時代の北斎による型紙技法 「写楽は誰」Ⅵ

写楽時代の北斎は、型紙であらかじめ作ったいろいろの大きさの円弧を、様々に組み合わせて絵を描いている。
これまではもっともポピュラーな大首絵(半身像)の分析でした。
今回からもっと複雑な、半身像二つの絵を見てみます。
「澤村淀五朗と坂東善次」の、紙のしわまで見えるイメージが見つかったので取り上げてみます。

工夫Ⅰ

円弧モデルを作って、右の人物の髪の部分を拡大してみます。

なくて1
   写楽 「澤村淀五朗と坂東善次」 部分

髪がくっきりとした弧状の線で描かれていて、弧の元になる円の大きさ別に、六色の色で塗り分けられる。
円の大きなものから黄緑、赤、青、緑、青緑、オレンジと塗ってみます。
琳派の装飾のように髪型が型紙を使って描かれているのは明らかですが、それだけではない。
青色を見ても、髪の外郭だけでなく、鼻梁、頬、襟元、右肩とじつに効率よく経済的に使っています。
これが写楽の独特な手法です。

さらに、それらの弧が主要モチーフとなって各所にグループで使われている。
この絵全体の円弧モデルを見てみます。

なくて2
   写楽 「澤村淀五朗と坂東善治」

長く垂れ下がった髪の黄緑の弧は、垂れた袖、ゆるい着物の襟元を描写するのに使われている。
カーブした髪の先の赤褐色の円弧は、左の人物の長く伸ばしたもみあげと同じで、さらにそのちょっと下の襟元に反転して並んでいる。
右の人物の帯の結びはこの円弧でできている。
丸みの明らかな青の円弧は左の人物の頭頂、そり上げた髪のあと、口ひげ、頬骨、顎に見られるだけでなく、画面下部にも集中的に使われている。
このように、弧のつながりの全体が、弧の曲がり具合によって区分されている実に計画的なデザインとわかる。

このいくつかの弧がモチーフとして使われる方法は、前回紹介した北斎宗理の「おしおくりはとうつうせんのず」と同じです。

2なくて2の
   北斎宗理 「おしおくりはとうつうせんのず」

中央下部の舟を構成する四つの円弧がモチーフとなって、個々の円弧がグループになって、使われることを示している。
象徴のレベルでなく、作画工夫のレベルで見ると、肖像画と風景画の区別なく比較できる。
方法が比類のない発明なので、作者は同じと断定できる。
人物像が二つだから、二重奏のようなもので、それらが調和するための何らかの技法が必要になっての解決法と言える。

前回あげた可候時代の北斎の「なくてななくせ とおめがね」も人物二人の二重奏で違った工夫がされているので書き足してておきます。

2なくて3の
   可候  「なくてななくせ」

左上の余白に、傘の骨を画くためにステンシルをつかったような跡が残っています。
パソコンツールで、この弧状の傘の骨に重なる円を求めてみます。
これが開いた傘の外郭と一致します。
前に作ったモデルでは遠眼鏡と傘の柄を直線(黄色)としましたが、一見長い直線に見てしまうのは、想像で補って、一本の直線だろうとしてしまう、すなわちサインの見かたをしてしまうからです。
フォーマルレベルで見ると、手の指に隠れた短い、少し曲がっている線です。
短い線の元となる円の大きさは推測できない。
ただ無限大の円の弧が直線だとすると、すべての斜線は無限大円の弧といえるから、同じ円で表せる。
たとえば右の女性の髪飾りのように、すべての短い斜線は一つの大円の弧で表せる。
青色の大円の一部として画けるすべての線を示してみました。
線を見ることが線の曲がりを感知することだとしたら、同じ円のどの部分を見ても、同じ曲がり具合を見ているのだから、調和感を感じる。この大円を主調の円と呼ぶことにします。
青色で示されなかった線は曲がりがよりはっきりと見てとれる、より小さな円の部分です。
ステンシル画法は装飾に使われるが、北斎はこれを画面全体の一見不規則に見える構造にまで使った大建築家であった。
この技法は最大円型紙基礎構成工法ということにします。

絵に意味を求めるのが世間の常で、日本の文化はアニメの文化と言われたりして、北斎漫画がその源流としてもてはやされたりする。
しかし漫画は読むだけでなく見ることもできる。
これが純粋芸術鑑賞です。
一般人はフォーマルな鑑賞眼を
子供時代に置き忘れてきているから、
二十八点の大首絵だけが評価されるのが通説です。
普通の人は、「写楽は偉大な肖像画家」という権威の意見を真に受けて、
顔の表情を読み取って良しとする。
顔の大きい大首絵がわかりやすいし、全身を画いた絵は顔の描写が単純になるから見るものがない。
ウィキペデアの作者、浮世絵体系の監修者まで、写楽のスタイルが中期後期に衰えたと書いている。
これは世界の近代三大無視され作品といえる。(あとの二つはセザンヌの水浴画とクレーの晩年のドローイング)
自分が理解できないタイプを衰えたスタイルとしてすましている。
写楽が北斎なのだから、中期、後期のスタイルは北斎としての発展がみられるはずです。
中期後期の絵は北斎が次々と実験的に画いた傑作群です。
初期浮世絵を理解できていない美術関係者がわかるはずがないのですが、
写楽の全身像には北斎の、初期浮世絵の研究の成果が見られる。

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(画風でなく画法でみると)春朗が写楽の絵を描いた 「写楽は誰」Ⅴ

前回写楽と北斎の作画法が同じだから同一人物に違いないと書きました。
一つだけ気になるのは、比較した写楽の絵が描かれたのは1794年ごろで、北斎漫画が出版されたのは1812年以後です。
多円技法は、じゅうぶん経験のある天才画家が自然生成の視覚文法を駆使して独自に発見できるのだから、
北斎以外の天才が独自に開発した可能性があるともいえる。

外界の形を記憶で繰り返し描いているうちに、線の曲がりが意識されて弧の連続になるという現象は、
頻繁に美術史の中で起きているから、今多くの傑作を目にしている。
この例が、セザンヌ、モジリアニ、ピカソ、などに起こったモダンアートという現象です。

写楽になる直前の春朗と、直後の宗理の大首絵を比較するのが理想です。
今のところ春朗の大首絵が見つからないし、宗理は役者絵を描かなかったらしいので、
下の四つの絵を選んでみました。
年代に沿って並べて、円弧のレベルでみると、すべての絵の曲線が滑らかで弧の連続となっている。
shunrosharaku1Ⅲ

美術史家田中英道のホームページを読めば、文献的には写楽は北斎とわかりますが、
ほかの人のブログ「”備忘録として”写楽北斎説」の中の、田中英道の本の要約が簡潔なので、引用させてもらいます。
”写楽後に北斎が名乗った俵屋宗理と可候では、役者絵をやめ、写楽が描かなかった美人画を描き始める。”
と、あります。
一番右の絵のサインは可候となっていますが、絵のスタイルは宗理の美人画と言われるタイプです。
同様に、写楽のスタイルは初めから完成されたものだから、
春朗後期に技術的に完成されていて、
写楽の作風を作ったはずです。
左の絵がネットで見つけた,たった一つの、完全に写楽レベルに達している春朗の相撲絵です。
この絵の丸みの線は宗達を思わせる。
この時代に、線は円弧の連続であると自覚していたのは北斎だけですが、
俵屋宗達の絵の影響であることは明らかです。
春朗が一代目宗理を通して宗達のどの作品を見ることができたのかはわかりませんが、
確かなのは、宗達の多円技法を理解したということです。
shunrosharaku3Ⅱ
 宗達  「白象図」 養源院

宗達が多円技法を発見して使っていたのは明らかで、これに気がついて、
後期春朗が実験して見た作品のひとつがこの相撲絵です。

shurosharaku2.png
  春朗  相撲絵
春朗の研究は進んでいないらしく、この絵が後期であるとの説明はありませんが、
琳派を学んで破門されたのだから、宗達に近い作品が後期の春朗の絵に違いない。
体の外郭線の、水色で示した弧が明らかに基礎となっている。
また小さな同じ円弧があちこちに群がっているのが見られる。
まわし飾りの黄緑で示した弧は、手足の襞と同じで、明らかに装飾的に使っている。

shunrosharaku4Ⅲ
  写楽  「大谷広次」
大首絵は半身を画面いっぱいに描くのだから、
全身像よりも少ない数の円でユニットを作ることができて、細部まで完全なモデルを作ることができる。
とくに耳、手は色つきのパイプで作った彫刻のように純粋造形芸術となっている。
一番目につきやすい弧は、頂点である頭頂部で、紫で表すとその配分が見てとれる。
そり上げられた髪のあとの外郭から、ほほ、顎、着物の袖、襟へと降りていく使い方は入念です。
肩の若草色は四本のグループをなしていて、着物の下部に二本使われている。
左手の袖はオレンジ色で、右手の袖下にも使われている。
描くというよりも、ユニットを使ってのデザイン工法と呼んだほうがいい。

歌曲が五重奏曲よりもわかりやすいのと同じで、大首絵の単純さは受け入れられやすい。
ただ素人はシンボルのレベルで見て満足しているようで、表情がおもしろい肖像画だけが優れているとみなされている。
さらには、写楽のその後のスタイルはほかの画家が描いた絵と言い出す人もいる。
そのうちもっと技法について書くつもりですが1794年前後は、北斎のもっとも実験的な時代です。

shunrosharaku6.png
この宗理時代の絵は有名な、「波裏の富士」の最初のヴァージョンといえますが、はるかに重要な作品です。
一番大きな舟の形は四種の円の弧でできている(オレンジ色、黄緑、赤、青で示している)。
それぞれの弧のグループが各所に配置されて共鳴している。
同円弧グループ法とでもいえる北斎独特の作画法です。

shunrosharaku5x.png

この工夫は写楽「高麗蔵」の着物の、朱色で示した線と同じ使い方です。
北斎は「都座」の顔のしわも波型と同じように扱っている。

同円弧がお互いに離れて使われているときは、いわば隠し味として調和を生み出しているが、近くに集まると、その効果は歴然と見てとれる。
これは可候時代の美人画にも使われている。
shunrosharaku6b.png
可候 風流無くてななくせ
交差する遠眼鏡と傘の軸の黄色で示した直線群だけでなく、
同円の弧も、あたかも型紙を利用しているかのように、意識的に使われている。
右の女性の鼻梁の若草色の円弧が、頬、両腕からもう一人の女性の袖から襟へと使われているし、
上方に目をやると、左の女性の顔の輪郭、鼻梁、耳、うなじへと連なっている。
左の女性の鼻梁の円弧は、さらに左下の襟元の二線に呼応している。

北斎は1794年前後に違った画風を同時に取り上げて、この同じ技法を実験していると言えます。
画風ではなく、画法を見れば、すべては同じ画家の作品とわかる。

本物主義の美術界は複製美術時代を通らなかった。
美術関係者がマルローの「空想の美術館」を理解して、
すべての浮世絵作品を画集に収めるという基本作業を怠らなかったら、
「写楽は誰」という問題は起きなかった。
すべての作品を並べてみたら、趣味判断だけで十分に、写楽の絵も北斎の一画風として見られていたはずです。


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写楽のコード「都座口上図」 北斎と写楽は同じ十二えん技法を使った 「写楽は誰」Ⅳ

shahok1.png
これら三つの絵の顔は同じ技法で描かれているように見えます。
直線がなくて、曲がりのはっきりした曲線だけで描かれている。
”同じ技法”をはっきりさせるために数量化してみます。
画像にかぶせてアーチモデルを作ると、十二の円の弧だけで、形を再現できます。
これらの円を同心円にまとめて、四分したのが、四分円ダイアグラムです。
さらに同じ円の一部が使われている弧を、同じグループとして数えて並べたのが調和のインデックスです。
かなりの数の弧が使われている円があり、それがグループとして目に入り、調和の感覚を出している。

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前に書いたように、ほかの浮世絵師(豊国、春英)の絵の顔にはかなりの直線が使われているし、
同じ円の弧が使われることもない。
ある形に同じ円の弧が何個使われているかを示したのが、調和のインデックスです。
shahok5140.png
使われた円の数が最初の絵では十二、二つ目と三つめの絵は十一となっている。
音楽の十二音技法にならって、十二円技法と呼ぶことができる。
曲がりの違いを意識して線を引くと、
曲がりの同じ曲線は弧だから、
線は弧の連続となる。
当然その弧が属する円は限られた数になり、
円のサイズが、はっきり見分けられるように違った大きさになる。
音楽では、フルートは違った音が聞き分けられるように穴を開けて作るから、
自然音階に気づくのが早かった。
芸術では、天才が、自覚なしに、アーチのスケールを使ってきた。

shahok6.png
最初の二つは北斎漫画からとったもので、三番目は写楽「都座口上図」の顔の部分です。
この写楽の絵は北斎漫画の技法で描かれていることになります。
歌川でも喜多川でもなく、天才的勝川春章のもとで十五年も学び、さらに独自に宗達を学び始めた北斎が写楽を名乗ったか、
急に現れた写楽がこのレベルに達したかということになります。
「オッカムの剃刀」の原理で、この二人は同一人物と考えるべきです。

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