調和のスケール(マチスのピンクヌード) [モダンアート再考」Ⅲ

絵画すなわち芸術、ということではない。
売れる画家は普通、売り絵を量産するようになる。
画家が自然の欲求に任せて描く時、傑作が生まれることがたまにある。
それが純粋芸術である。
すべての作品を分析する必要はないから、デジタル作品が無数に増えても問題ない。
興味を持った作品を、趣味判断が自然により分けることができる。
傑作とはなぜそうなのかをモデルを工夫して考えるのが、フォーマリズムの分析法です。

何度も描き直した曲線は弧の連続となるというのが視覚文法の原則ですが、
ここにいい例があります。
マチスのピンクヌードは、六か月にもわたった制作の過程が二十二枚の白黒写真によって記録されている傑作、
と言われています。
前にもこの作品を取り上げましたが、その時はまだ円-弧のモデルを工夫していなかったので、このモデルを使ってみます。

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   マチスのピンクヌードとその最初の日に描き終わった時点での写真

最後の絵のモデルを作ってみます。
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  マチス 「ピンクヌード」 円-弧モデル

一番大きな円の要構造は七つもできていて、
五種類の円だけで大まかな構造を作れるとわかる。
これらの円を同心円状に並べてみます。
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調和の同心円 ピンクヌードのスケールダイアグラム

この絵の調和感は、はっきりと違いが見てとれる五つの円によるスケールからできていることと関係がある。
明快なスケールは洗練された芸術の必要条件である
これらの円を最初の写真作品に当てはめてみます。
pink80b.png
   マチス ファーストヴァージョンの写真

はっきりと曲がりをもった線はすべて、これらの五つの円の弧で置き換えられる。
五つの円の弧はモチーフとして初めからできていたことになる。
おおきな違いは最終形では黄緑で示した最大円が一番多く使われているのに対して、
最初のヌードでは、二番目の大きさの朱色の円が一番使われていることです。

ここで二十二のヴァリエーションの円-弧モデルの比較をしてみます。
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  マチス  ピンクヌード 22の写真の円-弧モデル

円-弧モデルで各々の絵のスケールの違いを比較できる。
一番下の列の二つの図を比較すると、
最終段階で、最初の絵ではっきりと描いた五種類の円が残って、
黄緑の最大円を、下肢に優先的に使ったとわかる。
この最大円を優先的に使って絵をまとめる方法は、
前に書きましたが、北斎が「遠眼鏡」で使っている。
最初と最後の絵の間に描かれた二十の絵は、
一つの具象画が抽象的になって完成する過程を示しているのではなく、
はっきり弧になっていないあいまいな線に、どの円の弧を使うかをさがしてスケールを決める試みであった。

これまで書いてきた傑作の解析では、
十三個より少ない円でモデルができています。
この数は視覚が曲がりの違いを区別できる数といえる。
これが音楽の十二音スケールと似ているのは、偶然ではない。
人は外界の現象をアナログ(連続する量)ではなく、デジタル(とびとびの量)にとらえる。
(アナログ的な美術教育のデッサンは、無意味どころか、アナクロな有害物です。)
知覚能力は素朴で、かなりあいまいであるから、
せいぜい十二、三のスケールで外界をとらえるようにできているらしい。
視覚能力が最初に発現する。
これに上乗せした構造として、
聴覚能力などのほかの知性ができてくる。
芸術作品が普遍的で、どこの文化圏でも重要だったのは、このためです。
今これが無視されて、潜在的天才が凡庸教育を受けている。

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マチスの[ダンスⅡ]に見られる、調和のためのシンタクテックな技法

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   マチス  ダンスⅠ  ダンスⅡ

ドローイングを描き直すと、線の曲がりを意識するようになる。
一度に意識できるのは一種の曲がり具合だけなので、
その曲線は弧になる。
いくつかの弧のバランスを取ろうとするとき、
弧の延長である円を意識している。
それで円の関係が要状になる傾向がある。
この構造が調和感を出すことに気づいた天才はそれを意識的に技法として取り入れる。
この過程が見られる、いい例がマチスのダンスⅠとⅡです。
左側のダンスⅠの、一番左の裸像だけがはっきりとした線で描かれている。
この描き方ですべての裸婦を描いてみようと思ったのが、二枚目の絵を描く動機であったと想像できます。
右の絵のほうが丸みを帯びて、調和のとれた、リズミックな構成になっている。
輪郭線を弧で置き換えてみます。
六個の円の弧で十分です。
六つの弧のスケールでできていると言ってもいい。

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    マチス  ダンスⅡ  弧のモデル

それぞれの弧を延長して、円-弧のモデルを作ってみます。
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   マチス  ダンスⅡ  円-弧のモデル

ピンクの円が基礎構造となっているのがわかります。
ピンクだけのモデルを作ってみる。
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   マチスⅡ  ピンクの円-弧モデル

円が三つ以上交差する点を要とよんで、十字で示します。
要が線上に並んでいます。ほぼ中央の垂直線上に三つ、二つある水平線の高いほうに四つ、低いほうに三つあります。
画面に完全に入っている濃いピンクの円が二つあり、左の円上に四つ、右の円上に三つの要があります。
さらに右少し下にある薄いピンクの円には、六つの要があります。

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   マチス  ピンクと青の円-弧モデル

ピンクの円の交点に、青の円の要が一致するクロスを明るいピンクにして、
それ以外のクロスを黄色にしています。
一番おおきなピンクの円の弧が基調となって、一番数の多い青の円の弧が、
主調のメロデーのように、調和感を出している。

語られなかった、あるいは秘密にされた技法は美術史の中にどれだけあるのか、予想がつかない。
未来の芸術家にはそれを探る喜びがある。
いまどきの美術、音楽が一見行き詰っていると見えるとしても、
それは商業美術界あるいはジャーナリスチックな雑誌が紹介するものだけが、目に触れるからにすぎない。
テレビ、雑誌、美術展などの時代遅れの芸術環境は、長い間、芸術を生みだしてきていない。
インターネットで、過去の傑作のデジタルイメージを積極的に探して見るだけで、近未来を予想できる。

デジタル時代は真の芸術家にとって、最高の時である。
すでに説明したように、デジタル画像を十分に見れば、写楽が北斎だと、誰でも簡単にわかる。
初期浮世絵、初期ルネッサンス絵画だけでなくロマネスクミニアチュアの画などに見てとれる技法の数々が
発見されるのを待っている。
シンタックスレベルでの発見の時代である。

ルネッサンス期の代数は、
計算試合で、解法を秘密にして計算結果だけを競い合ったというのが始まりだったと言います。
解法の方程式を公開して代数になった。
音楽の記譜法のようなものを誰も工夫して説明しなかったから、美学が学問となれなかった。
インターネットで見られる傑作を、
シンタックスレベルで分析していくだけで、
芸術も科学になる。
画家は、将棋名人のように時代遅れで、
AI 芸術家にかなわない。
過去の将棋の名勝負を知り尽くしたAI がこれまでだれも使ってこなかった将棋の手を発見すると言います。
デヴィッドコープ(David Cope)のエミーがバッハを作れるように、
AIアーテストが写楽やピカソを作ることができるはずです。
さらに一般美学を理解できるように研究が進めば、
まったく新しい作品が可能に違いない。
すべての名人を打ち負かしてしまったら、藤井四段は数学者にでもなるしかない。
若い芸術家も、
論理的思考法を学んで、科学として作品を研究すれば、
実験芸術家としての道は開けるかもしれない。

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モダンアート再考 セザンヌのスケール

感覚器官は外界を単純化して感知する。
音をスケールにとらえて聞くのは自然の性質である。
誰でも曲がりの程度の違う弧を見分けることができる。
同じ曲がりの曲線は円の一部の弧である。
同じ円の弧をいくつか調和的に配置しようとすると、
その基礎の円の関係が、自然に要構造に近づく。
その効果に気づくと、それを技法として使うようになる。
写楽(北斎)や懐月堂は明らかに要構造を工夫として用いたことを、前回までに示しました。
この構造は時間場所を超えて、さまざまな芸術家に発見されたはずです。
その発見過程をセザンヌの作品に探してみます。
セザンヌがシンタックスを使っていそうな絵の、比較的早い時期の絵を選んでみました。

cezannescale1.png
Cezanne [Basel Five Bathers] 1885-87

セザンヌのこの絵は話題性のある絵でいくつもの画集、本で見る機会があった。
バーゼル美術館所蔵なので、「Basel Cinque Baigneuses (Basel Five Bathers)]として知られている。
”醜いけれども、力強いので気になる”というのが、初期の理解者の感想だったようです。
セザンヌが”(今)芸術に必要なのはプッサンを自然に倣って描くことである。”と言ったそうですが、
セザンヌのほかの水浴画は、自然の光の中にいるように、緑色、青色が優勢の画面なのに、
この絵は褐色がかってほとんどキュービズムの絵のようである。
遠近法に従わない空間の中の、解剖学的プロポーションを無視した裸体が
一般に受け入れがたいのは容易に想像できますが、
輪郭線のかなりの部分がはっきりと黒く描かれているので、
ピカソ、マチスが影響を受けたのはこのタイプの絵だったに違いない。
ポーズの違う五人の裸像のこの絵は、
左下の布はアヴィニヨンの娘を思い出させるし、
左上に垣間見える地面と空の境界線はマチスのダンスを思わせる。
バーゼル美術館の回顧展のカタログに載っているこの絵の見開きに鉛筆のスケッチがあります。
これと絵を比較してみます。

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  鉛筆のスケッチと「バーゼルの五人の水浴者」

輪郭線がかなり無造作な、何本もの線で描かれているから初期のドローイングのようにも見えるが、画面を十六のマス目に分割してある。
それぞれの裸婦の体の部位がほぼこのスケマに従っているので、コンポジションは計画的といえる。
裸像の輪郭線は単純化されて、かなりの部分が単純な弧状の線に見える。
弧に見える部分に弧を描いてみます。

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Cezanne [Basel Five Bathers] arc model

青色の弧が一番多くて目立っている。
各々の弧を延長して円-弧のモデルを作ってみます。

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Cezanne [Basel Five Bathers] circle-arc model

青の円が要構造になっているのがわかる。青の円だけのモデルを作ってみます。

cezannescale4.png
Cezanne [Basel Five Bathers] blue circle-arc model

計画的か、自然にできたかはともかく、要構造になっている。
これに気付いたのがピカソとマチスで、
このセザンヌの影響はキュービズムというよりもアーチズムというべきです。

1890年代後半に作られたリトグラフは署名してあるので、セザンヌがその出来に満足していたといえるから、
その時点での、さらに進化したセザンヌの美学がよく読みとれる。
batherlitho70.png
Cezanne [The Bathers] lithography 1896-97
ボリュームなしで、色も後付けだから、造形的にはセザンヌのもっとも完成した作品と言えます。線の上に弧を描いてみます。

batherlitho70arc.png

それぞれの違いが識別できる大きさの七個の円で、大体の構造を再現できる。
これをスケールと呼ぶことにします。
次に弧を延長します。

batherlitho70circlearc.png

一番大きな緑の円と次に大きなピンクの円が要構造を作っているとわかります。
まず緑の円のモデルを見てみます。

batherlithocirclearc70green.png

要が三つその上に乗っている円が二つありますが、それらを濃い緑にしてあります。

batherlithocirclearc70pink.png

ピンクの円は左下と右中央にグループとなって効果的に使われている。
セザンヌは色をあらかじめ決めてその範囲で配色していったということは”セザンヌのパレット”として、よく知られていますが、
形の最小単位である弧の元となる円の数も制限して構成した。
これはスケールと言っていい。
さらにそれらの円を要状に配置することによるバランス効果にもほとんど気づいたように思われる。
マチスは[ダンスⅡ]でこの技法を意識的に使っている。

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写楽の調和の技法(syntactic device) [写楽は誰]Ⅸ

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写楽「大童山の土俵入り 三部作」
 上 モア美術館 下 Takamizawa's Taisho era Reprint

モア美術館のデジタル映像は枠を切ってきっちりつなげてある
つながるのは柱だけで、大童山の両脇の太刀持ちの背部が、不自然に、細過ぎる柱に隠れれているし、
土俵の両側がないのもおかしい。
全体のバランスも良くない。
子供力士の土俵入りを大人力士が見守るというエピソードを描いてあると知っているから、
柱のサイズにつられて、つなげたのかもしれない。
空間として、またデザインとしてもつながっていない。
これらは下図のように少し離して見るべきです。
大童山の土俵入り、右を見ても、左を見ても力士たちが見守っているという風に、
映画のショットのように視点を三度変えている。
少し離すと、柱に太刀持ちが隠れている不自然さがなくなる。

それでは、別々の紙に描かれた三枚の絵にも関わらず、完璧な調和感はどこから来るか。
バランスの良し悪しを、センスのない人に言葉で説明するのは難しいが、モデルを使うとそれが可能です。

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これらを繋げてみます。
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一番大きい赤褐色の円、次に大きい黄色の円の関係がまったくないので、これらは独立して作られたとわかります。
あらかじめ選んだ限られた数の円の弧だけで絵を構成しているから、三枚の絵が調和して見える。

優れた画家は、文法レベルの知識は自然に獲得する。
シンタックスのレベルは工夫されたものであるから、過去の作品から学ぶことが可能です。
その知識を不十分として新しい技法を発明するのが天才です。

前のブログで書いたように、懐月堂がすでに要構造を使っていたのは確かですが、
それを北斎が学びとったのか、あるいは再発見したのかは、
個々の作品の分析が進まないとわからない。
シンタックス独自の、形を作る工夫は、知性による構造分析なしには、はっきり見えてこない。
想像力とは知性の発現であり、それがサインのレベルの表現法を学ぶ以前に、視覚文法的に発揮されるのが芸術である。
これまでの芸術研究は、ドキュメントの研究にすぎず、
芸術そのものの研究は、
デジタルイメージが容易に手に入りつつある、これから始まると言ってよい。

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テーマ : 絵画・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

写楽時代の北斎による,失われた相撲絵の重要性 「写楽は誰」Ⅷ

これまで写楽の正体を明らかにしてきましたが、ついでにいくつかの疑問点について描いてみます。
「浮世絵体系」の「写楽」によると、”版下絵として知られている芝居絵九点と相撲絵九点は偽筆の疑いが濃厚である”とあります。
前回、芝居絵が重要な作品であると、そのうちの一点のかなめ構造図によって示しましたが、
今回は、相撲絵の重要性について書きます。
このシリーズは初期浮世絵と同じで、
着物の形の抽象的な面白さが主目的です。
要構造のモデルを作ってみます。

すもう1
  写楽 陣幕
すもう2
一番大きな円が褐色、次が暗いピンク色、三番目がオレンジ、四番目が緑で示しています。
左ほぼ中央の黄色の十字点でこれらの四つの円が交差しています。

3すもう
太めにした二つの緑の円の上に四つの要点がおかれている。

すもう4
オレンジの円は四つのかなめ点のあるのが一つ、三つあるのが二つ。

もうひとつ「雷電」の要のモデルを作ってみます。

すもう5
   写楽  雷電
すもう6

すもう7

すもう8
一番大きな褐色の円、次に大きなオレンジ、三番目の緑と紫が一点で交わっている。

並べてみれば100%作者が同じと確信できます。
すもう9
 写楽 「奴」と「陣幕」  宗理 「波裏ファーストバージョン」

おそらくこの時期北斎は初期浮世絵に興味があったに違いない。
やりかけの懐月堂のかなめのモデルを示しておきます。
kaigetudou1.png
懐月堂安度  

これで写楽の全作品は百四十数点ではなく、百六十数点になりました。
もちろんギリシャの扇絵は問題外です。

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